【planetarian】雨雲の向こうに見据えた天国

こんにちは!

 

今回はKey作品のノベルゲーム、planetarian 〜ちいさなほしのゆめ〜を紹介します。

2004年に発売された作品で、3時間ほどで終わる短編作品です。

Key作品はSummer Pocketsに続いて私が2作品目にプレイしたゲームです。

hekoheko.hatenablog.com

 

多くのノベルゲームにある選択肢は一切なくひたすら読むだけです。

この作品はまずゲームが発売されたのち、サイドストーリーとしての小説が発売されました。

その後本編が2016年にアニメ化され、小説のエピソードを基に同年に映画化、2021年にOVAおよびゲームも作られました。

本編は現在ではPC、Steam、スマホアプリ、Switchで遊ぶことができ、私はSteam版をプレイしました。

 

作品との出会い

私がこの作品を知ったのは2016年に作られた本編アニメでした。

アニメは最後まで見たはずなのですが細かい内容や結末を思い出せず、ちょうどSteamがセールを行っていたので購入しました。

スマホアプリは現在のバージョンでは遊べない機種もあるかと思われるので注意が必要です。

 

私は子供のころからプラネタリウムが大好きで、小学生の頃は頻繁に行っていました。

大人になってから科学館に行ったときはちょうどリニューアル工事直前だったこともあり、普段は見せない特別な内容でとても感動しました。

星や星座も好きでよく夜空を眺めたり、星座の由来を読んだりもしていました。

そういったことから私にとってプラネタリウムを扱う物語はとても惹かれるものがあり、再び手に取ることにしました。

 

ストーリー

舞台は未来の日本の話。

戦争によって荒廃した世界で主人公の男性は屑屋として捨てられた都市に行ってはお金になりそうなものを探しています。

なお、主人公の名前は明記されておらず屑屋を名称としてここでは紹介します。

世界はもうずっと雨が降り続け、町には殺戮機械が闊歩しているだけでなく、同業者の襲撃、爆弾トラップなど歩き回るだけでも命がけの世界です。

そんな中屑屋は軍事施設と思われるドーム状の建物に行きますが、そこはプラネタリウムでした。

そこで従業員として働く女性型ロボット、ほしのゆめみ(以下ゆめみ)と出会います。

 

というのが大まかなあらすじです。

一言で言えば荒廃した世界で男性が美少女ロボットと出会う話です。

 

ということでここからはネタバレありの感想に入ります。

まだ未プレイの方はプレイした上で再びお越しください。

 

プレイ後の感想

プレイした感想としては何とも言えない気持ちになりました。

ハッピーエンドという終わり方ではないですが、希望が芽生えたような、ささやかな灯火を感じるような終わり方でした。

感動するシーンもあるのですが、感動よりも考えさせられた印象です。

では詳しく話の流れを見ていきましょう。

 

簡単に流れを書くと

起:屑屋がゆめみと出会う

承:屑屋がプラネタリウムの設備を直す

転:屑屋とゆめみがプラネタリウムの外へ

結:殺戮ロボット、シオマネキとの対決の末

です。

詳しく見ていきましょう。

 

起:出会い

屑屋はその場所が何かも分からずプラネタリウムに潜入します。

屑屋は生まれたときから荒廃した世界しか知らないのでプラネタリウムというものも知らなかったのです。

そこで出会ったのがゆめみというロボットでした。

屑屋は常に死と隣り合わせの生活をしており、切迫した雰囲気を漂わせています。

一方ゆめみはずっと一人ぼっちでプラネタリウムから外に出ていないため世界が荒廃した状態になっているとは知らず、呑気に接客をします。

すぐにでもこの場を離れたい屑屋でしたが夜も更けていたこともありここで仕方なく一泊します。

翌日も呑気に話しかけてくるゆめみ。

プラネタリウムを上映しようとしますが投影機が壊れていました。

 

承:ゆめみとの交流

屑屋は自分でも理由が分からないまま投影機の修理を行います。

ゆめみはおしゃべりで常に話しかけており、始めは今の世界の状況を知らないゆめみとの会話はかみ合わず、鬱陶しいと思っていた屑屋も次第に会話をするようになります。

そして数日経って投影機の修理は終わり、ついにゆめみによるプラネタリウムが開演します。

ずっと雨が降り続けるこの正解で初めて見た満点の星空に屑屋は感動します。

しかしその途中で電力が尽きてしまいます。

そこで屑屋のリクエストでゆめみは暗闇のまま解説を続け、屑屋はその解説からイメージを思い浮かべました。

 

転:ゆめみと外に

プラネタリウムの公演が終わり、食料も残っていない屑屋は都市から出ることにしました。

しかしゆめみはそんな屑屋に同行すると言い出します

結局一緒に出て行くことになります。

荒廃した世界を目の当たりにしてもゆめみはいつもと変わらず、現実を受け入れないまま吞気に話します。

そんなゆめみの終わりはもう近いことを屑屋は知っていました。

先のプラネタリウムの公演によって電力を使い果たしたためもうゆめみは充電する術がなくなってしまったからです。

そのため、もう誰も来ないプラネタリウムに一人残すよりも連れ出した方がいいと考えはしましたが、連れ出したところでどうするのかは屑屋自身も分かっていませんでした。

 

結:ゆめみが神様に願うこと

町の出口に着いたはいいものの殺戮兵器のシオマネキが待ち受けていました。

屑屋はゆめみを置いて一人で戦いますがピンチに陥ります。

そこに割って入ったのがゆめみでした。

ゆめみはシオマネキに人を襲わないよう説得しましたが銃で撃たれてしまい下半身が吹き飛んでしまいます。

その隙に屑屋はシオマネキの破壊に成功しますが、ゆめみは瀕死になってしまいます

 

ゆめみはホログラムを使ってかつて平和だったころの人たちを見せます。

多くの人が出迎えた就任式、感謝の言葉が並ぶお客との日々、そしてやむを得ずゆめみを置いて行くしかできなかった別れ際のプラネタリウムの職員たち。

そんなゆめみの姿に屑屋は町を出ればみんながゆめみを待っていると嘘をつきます。

相手はロボットだと分かっていてもゆめみを思いやり、思わずついた優しい嘘

ゆめみは町の外のそんな世界を天国のようだと言います。

しかしゆめみが神様に願いたいのは「天国を、ふたつに分けないでください」ということでした。

ゆめみは天国に行っても人の役に立ちたいから人間とロボットが共存できる世界を望みました。

ついにゆめみは力尽き、屑屋は武器を捨て、ゆめみのメモリーカードを持って町を出たのでした。

 

以上が具体的な内容です。

 

屑屋とゆめみのギャップ

この作品には屑屋とゆめみの二人しか主な登場人物がいません。

そしてこの二人には大きなギャップが存在します。

屑屋は荒廃した世界しか知らない、死と隣り合わせの生活をしています。

一方、ゆめみは荒廃する前の世界しか知らない、死とはほど遠い生活をしています。

このギャップがあまりにも大きく、なおかつゆめみは荒廃してしまった世界のことを知らない上に、話しても理解できないので屑屋はイラ立ちます。

私もですが、多くのプレイヤーがゆめみと同じ世界の住人であり、屑屋の現在暮らしよりもゆめみの過去の世界の話の方が共感しやすいです。

 

しかしそんな二人のギャップを一気に縮めたのがプラネタリウムの公演です。

公演を見た屑屋はかつて自分も幼い頃に母親に抱かれて星を見たことを思い出します。

ここからゆめみに対する考え方が変わっていき、最終的には町を出て一緒にプラネタリウムをしながら世界を周ろうとまで考えるようになります。

作中で屑屋は自分がどうしてこのような行動をしているのか自分でも分かっていない場面がいくつもありますが、最終的に自分のしたいこと、自分の目的を見出します

つまり、プラネタリウムを通じて屑屋はゆめみと同じような思いを持つまでギャップを縮めたことになります。

それは荒廃した世界の彼なりの一つの夢になったと思います。

 

ゆめみの天国

終盤、下半身を失うほどの攻撃を受けて命絶え絶えのゆめみに屑屋は新しいプラネタリウムの職場に連れに行くためにやって来たと嘘をつきます。

町の外には新しいプラネタリウムもかつての同僚もみんないて、お客さんもゆめみの解説を待ち望んでいることを伝えます。

それに対してゆめみは天国のようだと言います。

 

しかし屑屋が言う新しい職場のイメージというのは、かつてゆめみが働いていた平和な時代そのもののことであり、ゆめみにとっては当たり前の光景のはずです。

ましてゆめみはずっと荒廃した世界を知らず、信じずかつての平和の時代のころと変わっていないと思い込んでいました。

それなのに、当たり前だった光景のことを天国だと言います。

 

つまり、ゆめみはこの場面ではもう叶うことのない光景だと理解していることになります。

ゆめみはプラネタリウムに置き去られてから一年のほとんどを充電に充てており、一週間のみ稼働してはプラネタリウムの客引きをする生活を30年続けてきました。

その中でゆめみはうっすらと置き去りにされたことに気付きながらも目を背けていたと言えます。

実際に屑屋と町を歩き、シオマネキと戦う屑屋を見れば嫌でも現実を思い知らされたはずです。

しかしロボット故に絶望した様子がないのが、悲しみたくても悲しめないのが読んでいて胸を苦しくさせました。

雨が代わりに涙を与えてくれたラストシーンは彼女にとって一つの救いだったのかもしれません。

 

ゆめみにとって理想的な天国とはふたつにわけられていないところです。

つまり、人間とロボットそれぞれの天国が分けられているのではなく、一つの天国にどちらも存在している世界です。

ゆめみは天国に行っても人の役に立ちたいからと言っていますが、同じ天国ならばかつての同僚ともまた一緒にいられるから願ったとも感じられます。

そして、もう一つの意味として人を襲うロボットも共存できる世界を望んだのではないかと私は受け取りました。

シオマネキというロボットは本来無差別殺人を行うロボットではなく、外敵を倒し町を守るためのロボットでした。

そういったロボットも仲良く暮らせる世界を望んだという意味も感じられます。

 

ゆめみは終盤、屑屋の待機命令を無視してシオマネキからの攻撃に対して身を挺して屑屋を守り犠牲になります。

命令を無視した理由をゆめみは命令よりももっと昔からの約束があるからと答えました。

具体的にそれが何なのかは本編で解説していませんが、これはロボット工学三原則のことです。

SF作家アイザック・アシモフが提唱したもので、簡単に言うと

1.ロボットは人に危害を与えたり及ぼしてはいけない

2.ロボットは人からの命令に従わなければいけない

3.ロボットは上の2つに反しないならば自身を守らなければいけない

というもので、ロボットを扱うノベルゲームではよく見かけます。

ゆめみはこの中の一つ目の原則に則って屑屋を危険から守りました。

そしてシオマネキなど他のロボットも本来はそうあるべきであり、そうである世界が天国なのだとこの話では言えます。

説明した通り町には他にも殺戮兵器が闊歩しているのは、そんな原則も崩壊するほど世界が壊れてしまっているからです。

 

いっしょうけんめい

終盤のシーンのゆめみのセリフのいっしょうけんめいは敢えてひらがなで表現しています。

どうしてわざわざひらがなにしているのだろうと読んでいて疑問に感じました。

それは恐らく一生懸命と一所懸命の二つを表していたからではないかと感じました。

一生懸命は文字通り命(人生)をかけて頑張ることです。

ゆめみにとって仕事は生きる目的そのものであり、一生懸命に働いてきたことは物語を読んでいると容易に想像できます。

そして一所懸命は一つの場所で頑張ることであり、ゆめみはプラネタリウムいう場所で仕事を続けてきたのでこちらもピッタリの言葉に感じます。

そういったことからどちらの意味にも当てはまるのであえてひらがな表記にしたのかなと思いました。

 

星に託された意味

今回はプラネタリウムが舞台ということもあり星に意味が込められているように感じます。

作中ではとある子供が自身の両親は命を落として星になったと言っています。

それ以外にも流れ星にあるように願いを託す存在でもあります。

屑屋はプラネタリウムの公演を見たことで昔見た星空のことを思い出します。

つまり、たとえ万年雨の世界になっても星空は変わらずそこに存在しており、ゆめみがいた平和な時代から変わらない不変の存在とも言えます。

変わらない存在であるからこそ二人を結び付けたものだったと感じています。

また、終盤で屑屋は町を出た後はゆめみとプラネタリウム公演をすることを想像していることから、屑屋にとって星は生きる目標になったと思います。

 

ではゆめみはどうかと言うと、私の中ではゆめみ自身が星だったのではないかと思います。

ゆめみは屑屋が投影機を修理しているとき、その巨大な電球を抱えながら眠ってしまいます。

それはまるで星を抱いているかのようでした。

ゆめみは同僚だけでなく、お客さんからも慕われており、公演を見に来るではなく、ゆめみに会いにまた来るというお客さんもいました。

つまり、プラネタリウムにおいてゆめみはみんなを照らす星のような存在だったのではと思います。

そういった意味でゆめみ自身が星だったと感じました。

ゆめみにとって星は何なのかというと明確に言い表せられません。

プラネタリウムの公演中のゆめみはすべての星もその神話も意のままに操っていたと屑屋が感じていたようにゆめみにとって星はともにある存在だったのではというのが私なりの解釈です。

 

暗闇を銀河に

ゆめみがプラネタリウムを解説していると特別公演のところで電力が尽きてしまい、ゆめみの解説のみで話が進みます。

この解説が物語の中で感動する部分であり、ゆめみの願いを表している重要な部分と感じます。

 

ゆめみはイエナさんと1000年後の星空をこの公演のために用意していました。

そして暗闇に迷ったときにこの星空を思い出してほしいと言っています。

非常に感動する部分なのですが、どこか既視感がありました。

その正体はBUMP OF CHICKENrayという曲の歌詞でした。

晴天とはほど遠い

終わらない暗闇にも

星を思い出せたなら

すぐ銀河の中だ

この歌詞が私は非常に印象的だったのですぐにこれを思い出しました。

 

私はゆめみのこの部分の解説を聞きながら自分がかつて見た星空を思い出しました。

林間学校で始めてみた天の川。

大学の卒業旅行で行ったオーストラリアの南半球の星空。

あの光景は今でも思い出せます。

このようにそれぞれにそれぞれの星空が心にあるのだろうと思いました。

そういったことを思い出させてくれる素敵なシーンでした。

 

まとめ

以上がplanetarianの感想です。

最後は胸にグッときますが、都合よくいきなり世界平和になりました、雨が止みましたといった奇跡がないので現実味があってこれはこれでよかったと感じました。

強いて言うならば屑屋の心を覆っていた雨雲が晴れたと言ったところでしょう。

ちなみにプレイ後すぐにサイドストーリーの小説を購入しました。

スマホアプリで400円でした。

まだ読み始めたばかりなので読み終わったらまた記事を書きます。

屑屋のその後もあったらいいなと思います。

 

余談ですが、プラネタリアンは造語だと思っていたらプラネタリウムの仕事でそう呼ばれていることを今回初めて知りました。

 

それでは!!