こんにちは!
泣けるノベルゲームで有名なKeyの作品の1つ、planetarianのサイドストーリーを紹介します。
サイドストーリーは4つの話から成る小説で、最初の2話は前回紹介したのでここでは後半2つを紹介します。
ネタバレありの感想のためplanetarianのゲーム、小説をまだ終わっていない方はお控えになることをお勧めします。
それぞれの記事はこちらをご覧ください↓↓
特にゲームをプレイしていないと内容が分からないです。
それでは見ていきましょう。
3. 星の人
舞台は氷で覆われた世界。
レビ、ヨブ、ルツの3人の子供は外を歩いていると雪に埋もれた老人を見つけます。
これは老人を村で介抱する間の、老人とこの子供3人の交流のお話です。
子供たちが住む村は地下にあり、3人の子供以外は大人の女性しかいません。
それは男性はすべてこの生活の中で命を落としてしまっていたからです。
外は万年氷に覆われており、嵐が頻繁に吹き荒れます。
地下の村の発電機器は地上にあり、その点検や整備のために男性たちは地上に出ては命を落としてしまっていたのです。
そういった環境下のため外部からの人との交流はこの村ではほとんどなく、この老人は久しぶりの来訪者でした。
その老人は小さな黒い機械、投影機を持っていることから「星の人」と呼ばれている存在で、大人たちから敬意を払われるほどの存在でした。
老人が少し元気になったところで老人は子供たちに巨大な傘を作らせます。
それは言わずもがなプラネタリウムのドームです。
星の人はプラネタリウムの公演をしながら世界中を回っているのでした。
しかし生まれてから地下で暮らしいる子供たちにとって星というもの自体何か分かりません。
彼らにとって地下で植物を育てるための照明が星だと思い込むほどでした。
そして手作りのドームが完成し、投影機の調整も終わったところでプラネタリウムが始まりました。
生まれて初めて見る星空に感動を覚え、それと同時に湧き出る疑問を老人は次々と答えます。
そしてプラネタリウムが終わるとき、子供たちはもっと見たいとお願いしますが、老人は子供たちに目を閉じるように言います。
そこには何もないただの暗闇、寝る前にいつも感じる孤独や恐怖が支配しています。
しかし老人の言葉によって今見ていた星空を思い描くことでそういったものは消え去りました。
翌日、子供たちは自分たちの宝物と引き換えに星の人に弟子入りを申し出ます。
快諾されたものの間もなく、老人は女神像がある広間にて追放を言い渡されます。
しかし老人はそれよりも女神像に釘付けになっていました。
その女神像とは、金髪の修道服を着た女性型ロボットでした。
老人は女神像こと修道女ロボットの耳の裏にメモリーカードを入れるところがないか触ったところで倒れてしまい、その数日後に運ばれたベッドの上で命を落としてしまいます。
不思議なことに老人が亡くなった日、女神像は勝手に動き出し、老人の側で片膝をついて祈りのポーズをしていました。
そのときの老人の手には子供たちが弟子入りのために渡した宝物である十字架がありました。
老人は地下の墓地ではなく、子供たちの願いで地上の土に埋葬されました。
いつか本物の星空が見えるその場所で星の人は長い旅を終え、子供たち3人が星の人を受け継いだのでした。
以上が星の人の内容です。
第二章の戦闘の話とは打って変わって穏やかな話でした。
文体も非常に読みやすく一気に読み終えました。
子供たちが主軸に添えられていることから読みやすくしているようにも感じました。
星の人とは?
星の人こと老人の正体はplanetarianに登場した屑屋でした。
屑屋はロボットのほしのゆめみとの一件の後、星の人として各地でプラネタリウムを公演するという目標を実行していたのです。
そんな星の人が大事に持っていたものはゆめみのメモリーカードでした。
星の人の証としてこれを弟子入りした子供たちに渡しています。
planetarian本編のときの屑屋は口数は少なく、生きることに精一杯で余裕がない態度でしたが、星の人となった老人は常に穏やかで笑顔を見せるような性格になっています。
それはこれまでの星の人としての生き方が彼をそうさせたのだと思うと、彼はゆめみと出会ったことで幸せな人生を歩むことができたと言えます。
お話の舞台は?
老人が屑屋だったということは、この話の舞台は本編よりも何十年も未来の話となります。
本編の時代は自立型兵器が闊歩する、常に雨が降り続ける時代でしたが、この未来の世界はロボットの脅威は登場しておらず、世界は雪に覆われています。
また、外を歩くにもマスクをしなければならない状態で大気汚染も進んでいることが分かります。
つまり、本編の時代よりも氷河期が進み、より過酷な環境になったと言えます。
そんな中でも星の人として一人でも多くの人に星空を届けようとしていた生きざまは感動すら覚えます。
余談ですが、第一章のスノーグローブは氷に覆われた地球の未来を暗示していたようにも感じます。
また、終盤に登場した女神像が修道女ロボットだったことから、子供たちがいた村というのは、第二章の舞台であったパタゴニアの教会地下です。
そのため第二章で紹介したように修道女ロボットは十字架を持つ人を人間だと認識していたので星の人の最期を看取りに来ていました。
他の人を襲わなかったのは、星の人が触れるまで充電がされておらず、星の人を看取ることが優先事項だったからと思われます。
また、村の人は武器を持っていなかったので攻撃対象とならなかったのも考えられます。
女神像がロボットだと分かり、星の人がすぐさまメモリーカードの差込口を探したのはゆめみのメモリーカードを差し込もうとしたからです。
メモリーカードを差し込むことができれば姿は違えど中身は同じゆめみに再会することができたはずです。
差込口があったかどうかは明確には描写されていませんが、恐らくなかったのではないかと思います。
しかし星の人が満足そうな安らかな顔をして最期を迎えたのは、修道女ロボットにゆめみの姿を重ねたからかもしれません。
ということでここで本編と直接関連する話になりました。
第二章は本編と無関係だったので第三章もそうだろうと始めは見せかけておいてビックリさせる仕組みになっています。
実はこのタイトルで本編とは別で映画化されているのですが、その予告編を見ていたので星の人が屑屋だというのは予想できていました。
まさか舞台が第二章と同じだったとは以外ではありましたが。
老人と子供の交流ということでほんわかできたのはよかったです。
エピローグ -星の人 / 系譜-
実はこのエピソードには幻のエピローグが存在します。
それは著者が推敲の際に削った部分で二次創作として彼のホームページで読むことができますが、その後作られる映画やドラマCDでは採用されています。
わずか11ページですが、正直小説の中で一番泣いたのはこれです。
まだ読まれていない方はこの先のネタバレを読む前に下のリンクよりご覧ください。
内容は星の人の最期です。
地下コロニーで修道女ロボットに会い、そのままベッドで寝たまま帰らぬ人となった星の人こと屑屋ですが、消えかかった意識の中自分の過去を夢として思い出します。
ゲーム本編の十数時間後、ゆめみのいる町を出た屑屋は片足を失い雨の中瀕死で倒れています。
そこに同業者の別の屑屋が近づいてきます。
お前も屑屋かと聞かれますが、彼はゆめみの夢を引きつぎ、星屋だと言います。
これはアニメ版の最終回で追加されていました。
夢から覚めるとまた別の足音が星の人に近づいてきます。
それは女神像として祀られていた修道女ロボットでした。
星の人はゆめみのメモリーカードを出そうとしますが、もう弟子の3人に渡してしまったことを思い出します。
代わりに弟子からもらった十字架を取り出すと修道女ロボットは何かを言いますが、発声機能が機能していないため聞き取れません。
そして修道女ロボットは膝をつき、祈りのポーズを取って動かなくなりました。
星の人は部屋の外から明かりが漏れていることに気付き、部屋を出ます。
気が付けば失った片足は戻っています。
その先にあったのはプラネタリウムの空間でした。
多くの観客が見守る中、投影機の側にはゆめみがいました。
久しぶりの再会にゆめみは涙を流します。
そこには会ったこともないはずなのに親しみを感じるゆめみの同僚たちもいます。
「お客様」と呼びかけるゆめみに対してあの時と同じ姿かたちに戻った屑屋は客ではないと言います。
そして星を紡ぐ系譜の一人として屑屋はゆめみたちと一緒にプラネタリウムを開演します。
以上がエピローグの内容です。
屑屋の本編のその後と天国に行ったという場面が描かれています。
ゆめみと出会ったことで屑屋は町を出た後に屑屋をやめて星屋として生きていくことを決めます。
そして弟子を持ち、命を燃やし切った後に天国へと行けたのでした。
その天国とはプラネタリウムのことで、ゆめみやみんながいました。
屑屋こと星屋は彼らの意志を継いだものとしてその仲間入りをしたのでした。
このプラネタリウムの光景はまさに本編終盤で屑屋が瀕死のゆめみについた嘘の世界でした。
これに対してゆめみは天国のようだと言っていました。
それがここでは屑屋にとっての天国になっています。
そしてゆめみが望んだように天国は人もロボットも分けられていない世界です。
天国なのでゆめみは涙を流すことができます。
長い一生の果てに再会できただけでも感動なのに、ゆめみが涙を流すなんて私も泣くしかありませんでした。
そしてその涙は悲しみではない、喜びの涙であることが本当に救いに感じます。
このシーンは映画版に追加されました。
ちなみに修道女ロボットが発する聞き取れない言葉は明記こそされていませんが、第二話のエルサレムで繰り返し発していた「あなたを赦しましょう」だと思われます。
正直これで物語は完結でもいいのではというくらい良かったのですが、まだあと一話残っています。
4. チルシスとアマント
その町には双子の男の子のチルシスと女の子のアマントの二人しかいません。
町はあるものの誰もおらず、町の外は氷で覆われているので出ることができません。
双子である二人はいつも学校で言葉を学んでいました。
言葉を学んではお互いにちゃんと合っているか確かめ合っています。
学校の休み時間にチルシスは誰もいない町をいつも散歩しており、退屈な勉強から抜け出していつか外に出たいと願ってはアマントは船ができたら出られると言い聞かせます。
そんなある日、チルシスは道の果てに光で溢れる真っ白で大きくて、凍えていて丸いものを見つけ、それが月だと認識します。
それから時間ができては月を見に行くようになります。
チルシスは熱心に勉強するようになり、言葉を単に覚えるだけでなく考えるようになりました。
その結果多くのことを理解できるようになり、アマントとの差がはっきりと出るほどでした。
そして、チルシスは理解します。
ずっと見ていたあの丸い光るものは月ではなく、凍り付いた地球なのだと。
そして、チルシスは理解します。
自分たちは月の上にいて、地球から持ち込まれた言葉を失われないように守るのが役目であることを。
そして自分たちは言葉そのものであることを。
すべてを悟った時、ついに船が完成します。
船はチルシスだけが乗れる大きさでした。
船に乗ってチルシスは自分たちが月にある自動造船場のコンピュータの中にいたことを知ります。
アマントに見送られてチルシスは宇宙へと旅立ちます。
エピローグ
その小さな船は宇宙を彷徨いながら言葉をでたらめに囁きます。
そして、このような言葉を選びました。
「プラネタリウムはいかがでしょう?
どんな時も決して消えることのない、美しい無窮のきらめき
満点の星々が、みなさまをお待ちしています」と。
以上でplanetarianは完結です。
これは一体??
今紹介したのが最終話ですが、私は読んだ時意味が分からず、感動などの感情よりも困惑しかありませんでした。
内容が非常に抽象的で、何を言っているのか理解できませんでした。
というわけで、ここから私なりに考えた解説です。
結局どんな話?
この話は種明かしが最後に出てくる構成なのですが、種明かしの意味も理解しにくいです。
要は月にあるコンピュータの中でチルシスとアマントというAIが言葉の記録処理を行っていたという話です。
整合性をチェックするために二人で始めは処理した言葉を見比べていましたが、途中からアマントはチルシスの願いを叶えるために船を作るプログラムの稼働に力を入れていたので二人の記録処理の成果に差が出ていました。
そしてチルシスがすべての記録処理を終わり、世界を悟った時にちょうどアマントも船を完成させ、チルシスを送り出したというのが最終話の内容です。
チルシスもアマントも実は人ではなかったというのがサプライズになっていますね。
最初の挿絵が人で描かれているので余計に騙されました。
チルシスは終盤に自分も言葉だと悟ったというのは、AIもプログラムという言語で構成されているのでそのように言ったように感じます。
チルシスとアマントとは?
そもそもチルシスとアマントという名前は何なのかについて調べてみました。
この二人の名前はフランスの詩人、ヴェルレーヌの作品に登場する人物で、同じく詩人の中原中也が後にこの二人の名前を「月の光」という詞に登場させています。
チルシスは女性で、アマントは男性であること
二人は月夜に現れること
です。
この最終話ではチルシスが男性、アマントが女性となっているので逆になっています。
実際にはAIであり、作中でも性別はあべこべかもしれないと書かれています。
しかしそれならば何故、性別が逆になっているのでしょうか?
うっかり間違えたとは考えにくいので意図的に理由があってそうしたと考える方が自然です。
ヴェルレーヌでも中原中也の詩でも「月の光の下」にチルシスとアマントは登場しています。
その性別が最終話では逆ということは登場する場所も逆で、「月の光の下」ではなく「月の光の上」、つまり月にいるということを早い段階で暗示していたのではないか、というのが私の考えです。
実際にこの小説のプロローグには北原白秋の詩が載っているのですが、そのタイトルは「月から観た地球」です。
これも無関係には思えません。
いろいろと不足した最終話
この最終話が分かりにくかったのは他にも理由があります。
その中でも大きいのは欠けたエピソードがあることです。
実は第三話「星の人」とこの「チルシスとアマント」の間には「舟守の塔」というエピソードが存在します。
これは劇場版planetarianのパンフレットで明かされたもので、執筆はされていませんがあらすじは紹介されています。
それによると「星の人」のエピソードの後、星の人の役割は代々受け継がれていき、その間に星を見せる存在から言葉を記録して星に届けることに目的が変わっていきます。
最後の星の人となった兄妹はゆめみのメモリーカードや他の記録を持って月に到達し、コンピュータにそれらをインプットすることに成功しますが、二人は月では生きていけずに終わりを迎える、というお話のようです。
このエピソードを知っているかどうかで最終話の理解度も大きく変わります。
私はこれを知ったことで何故月のコンピュータにあるAIが言葉を守ってきたのかが分かりましたし、第三話からちゃんと話がつながっていることが分かりました。
そしてもう一つ、この分かりにくい最終話を補完する存在が「星の舟」という歌です。
これは劇場版planetarianの主題歌になっているのですが、歌詞の内容がこの最終話のことをそのまま歌っています。
最終話を読んだ後にこの歌の歌詞を読むとよく分かります。
メロディーも素敵なのでぜひご視聴ください。
というわけで、存在しない欠けたエピソードと歌に触れることでこの最終話はどういったものか理解できます。
エピローグは一体?
エピローグはチルシスを乗せた船が宇宙を進み、その中でゆめみの言葉を発するというところで終わります。
その言葉はゆめみがいつも客引きで使っていたものですが、実はこの言葉もサイドストーリーの各エピソードと関わっていることが示唆されています。
「どんな時も決して消えることのない、美しい無窮のきらめき」は粉雪のように、
「満点の星々が、みなさまをお待ちしています」は遠い祝福のように発したと書かれています。
粉雪とはスノーグローブのことであり、遠い祝福とはエルサレムの修道女ロボットの祈りのことを指していると考えられます。
ゆめみの言葉を発した意味
どうして宇宙の果てでゆめみの言葉を発したのか、それはまったくの偶然です。
チルシスは船に乗って宇宙を進んでいる間にその役目である「星に言葉を届ける」ことを実行していますが、その言葉は規則性はなく、何京回も発する言葉の中でこのゆめみの言葉が出てきたと書かれています。
しかし「舟守の塔」にてゆめみのメモリーカードもチルシスとアマントの元に届けられているので、そこから引用したことが考えられます。
正直、最初読んだときは「これで終わり?」と思いましたし、こんな誰もいない、いても意味を理解できないであろう言葉を発したことに何の意味があるのだろうと感じました。
ゆめみがここで客引きをする意味も分かりません。
ではこれにはどういった意味があるのか、考えました。
星を紡ぐ物語
ゆめみの言葉を引用した意味について話す前に、なぜこの物語をラストにしたのかについて考察します。
私の中では第三話「星の人」で二次創作となってしまった屑屋が天国のプラネタリウムでゆめみと再会するところで話を終わらせていいと感じました。
実際にそこが一番感動しましたし、後に映画やドラマCDもそこを採用されています。
しかし、この部分は敢えて小説から除き、チルシスとアマントのエピソードとエピローグが描かれています。
ということはこの最終話とエピローグは必要なものだったと言えます。
しかし最終的にはゆめみも屑屋も一切登場していません。
ここで、私はある勘違いをしていたのだと気が付きました。
planetarianはゆめみと屑屋の話だと思っていましたが、そうではなかったのです。
planetarianとは星を紡ぐ人たちのことだったのです。
ネットでplanetarianを調べるとプラネタリウムで働く人を指していますが、この作品ではゆめみ(解説員)⇒屑屋(星の人:プラネタリウムを見せて回る人)⇒舟守の塔の星の人(言葉を星に届ける人)とplanetarianの意味が変わっています。
チルシスとアマントも言葉を星に届ける「星の人」であり、無関係ではありません。
ゲーム本編とサイドストーリーの4つの話は関係しているものもあれば、関係していないものもあります。
しかしどこかでつながっており、それは点と点を結んで作られる星座のようです。
サイドストーリーの構成をこのようにしたもそういった意図があったと感じています。
実際に第四章でチルシスは言葉を学習するにあたって自分が思ったことを単語に区切る遊びをしています。
これは星を結んで星座を作るように、単語を結んで言葉や意味が生まれることを示しています。
代々とplanetarianの役割が受け継がれていき役割も変わっていきますが、変わらないものがあります。
それは星空という存在です。
ゆめみがいた平和な時代も、ロボットの特異点となったエルサレムの時代も、雨が止まなくなったゲーム本編の時代も、氷河期に入った時代も、いつも星空は変わらずそこにあります。
そして、そんな星空に勇気をもらうのも変わりません。
ゲーム本編のゆめみによる特別公演にてゆめみは暗闇に迷っても今日見た星空を思い出してほしいと願い、屑屋はそれを胸に星屋として最期まで人生を全うしました。
そして星屋の弟子となった3人の子供もそれぞれの胸の中に星空を思い浮かべることで恐怖に打ち勝てるようになりました。
また、特別公演にてゆめみは人々は再び宇宙を目指すことを願います。
3人の弟子に受け継がれた星の人の役割は「舟守の塔」のエピソードにてついに月へと達します。
文明が崩壊し、氷で地表が覆われた世界から月に行くことはどれほど無謀だったことは容易に想像できますが、星の人が代々それを諦めずにいたから実現できたという感動が実は隠されています。
それをチルシスとアマントが受け継ぎ、チルシスは船に乗って遠い宇宙の彼方にたどり着きます。
そしてそこで発したゆめみの言葉。
それは、ゆめみの願いが実現したことを天国にいるゆめみに伝えたものだと感じました。
このようにゆめみの願いが実現したことを物語の完結とするならば、チルシスとアマントのエピソードは必要だったと思うことができます。
そしてゆめみの願いと言えば「天国を、ふたつに分けないでください」というものがあります。
それは天国を人間とロボット別々にしないでほしいというものでした。
ロボットであるゆめみからplanetarianは屑屋、3人の弟子へと継がれていきますが、最後はAIのチルシスに受け継がれていることも意味があることに感じます。
まとめ
以上がplanetarianのサイドストーリーについてのあらすじと感想です。
正直、スノーグローブのようなほんわかエピソードが続くものだと思っていたのでこれほど壮大な物語になるとは思ってもいませんでした。
というよりも、最初はこの終わり方が理解ができずに困惑しました。
しかしいろいろ調べたり、そこから自分なりに考えて自分なりの答えが出ました。
作中でも書かれているように自分が思うものが答えなのだというのが、この作品の在り方だと思うので、一つの考えとして捉えていただけたらと思います。
個人的にこの壮大な終わりへの向かい方が漫画「ファイアパンチ」を彷彿とさせました。
こちらは「チェンソーマン」で有名な藤本タツキ先生の作品で、こちらはこちらですごい作品なので気になる方はぜひ!!
それでは!!